会いたかった大垣

 国際観光日本レストラン協会の委員会が大垣市の「天近別館ちかざわ」さんで開催されましたので、出席しました。

 大垣という所には、恥ずかしながら生まれて初めて参りました。

・関ヶ原の隣町で、天下分け目の戦で陣が置かれた。

・大垣藩主・戸田家は「忠臣蔵」浅野家の親戚だった。

という位の知識しかありませんでしたので、せっかくだから、少し早めに着いてお城や「郷土館」を見学することにしました。

 それで新幹線の岐阜羽島駅から市内に入るのをあえてやめ、名古屋から在来線に乗り換えて30分。大垣駅に降り立ちました。

 降り立ってまず最初に「大垣の歴史に触れてみたい」と思っていた私の目に入ってきたのは、JRの駅ビルです。

 そのテナントのリストを見て、

 げげっ!

と思ってしまいました。

 飲食店はほとんど東京の大手外食産業。薬はマツキヨさん、本は三省堂さんです。

 うーむ、ここは実は秋葉原駅だったのか。思わず、

 ♪会いたかった♪会いたかった♪会いたかった♪Yes!

と歌いそうになりました。

 駅と土地を持っているJRと、投資力のある大手が組んで、駅ビルや駅ナカを開発する、という首都圏での所謂「勝ちパターン」を大垣でも実行しているわけです。

 食べものは土地・土地に特徴があるというのに、この調子では全国の味覚が同じになってしまいます。せめて名古屋の飲食店にする、という選択肢は無かったのでしょうか。

 いやいや、国有鉄道がダメで、民営化したのだから、そういうビジネスに走るのは仕方ない、あるいは当然だ、というお考えの方もおいでかもしれません。

 たしかにビジネスするのは当然です。しかし、です、ビジネスはビジネスでも、新たな事業分野を開発する仕事と、既に他人のやっている仕事のパイを食うだけの仕事の、2種類がありまして、JRの駅ビル・駅ナカは完全に後者です。

 駅前商店街の客を奪うだけです。

 実際、大垣駅から市役所へ向かう、中心市街地の商店街は、閉まったシャッターと老朽化した建物が目立っていました。残念な光景でした。

 私はこれを当然とは思いたくありません。

 思い起こせば、かつての民営鉄道事業には浪漫がありました。

 東の東急、西の阪急は、東京と大阪の郊外に高級住宅街を造成し、都市の風景を一変させました。

 阪急の小林一三翁(=逸翁)は住宅街だけでなく、鄙びた温泉場だった宝塚に遊園地と劇場を建設し、劇場に出演する少女歌劇団まで自社の音楽学校で養成しました。今日でも、その歌劇を見るため全国のヅカファンが阪急電鉄に乗りますね。

 時代は下りますが、デイズ二―ランドも経営母体は京成電鉄です。

 デイズ二―(=オリエンタル・ランド社)の現会長は、私の父の同期で卒業して京成に入り、後にデイズ二―に出向。用地買収から始めて、ついには現在の、あの盛況な姿にまで発展させました。

 一方、現代のJRが歴史に残すものは、全国統一テイストの駅ナカと荒廃した駅前商店街だけでしょう。

 たしかに東急・阪急も駅前に東急百貨店・阪急百貨店を建設しましたが、それらは夢と憧れを売る店であって、JRが建設したコンビニエントさを売る店とは似て非なるものです。浪漫の度合いが違うと断言したいと思います。

 末法の世ですな。

 南無観世音菩薩。

 あ、大垣の御料理のことも、明日書きますよ。

 追伸①

 9/30(日)に「すき焼き通検定試験」を実施します。

 この試験は「落とす試験」では勿論なく、すき焼きについて学ぶことを楽しんでいただく試験です。

 どなたでも受験できて、合格者には特典満載です。

 ただ今(9/25まで)受験生募集中ですので、是非是非お受験を!詳しくはこちらです。

追伸②

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

 是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸③

  「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は300人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて938日連続更新を達成しました。毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM
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