伏見の御酒
国際観光日本レストラン協会の理事会が京都郊外・伏見の老舗料亭
「魚三楼」さんでありましたので、出席してきました。
近鉄線の桃山御陵駅を降りると、右が伏見の中心市街ですが、左には大きな鳥居が見え、明治天皇の御陵へと道が続いています。また伏見は、水が湧く所でして、酒どころとしても有名ですので、私の中では、伏見と言えば御陵と酒、というイメージでしたが、それは浅い理解だったようです。
協会の理事でもある、「魚三楼」の御主人Aさんの説明によりますと、
「伏見は、京都市中とは違って、武家の町」
なのだそうです。
へー、不勉強でした。
そう言えば豊臣秀吉が京都で政治活動を行う時、伏見城を使っていました。伏見の城下町を整備したのも秀吉だったとか。
さらに関が原の戦いの後で徳川家康が、その城を接収し、京都での拠点として使いました。1603年に将軍宣下を受けた場所も伏見城でした。
やがて京都市中に二条城が完成して 伏見城は廃城になりましたが、幕末にはふたたび政治の舞台となり、「寺田屋事件」の惨劇や「鳥羽・伏見の戦い」がありました。「魚三楼」さんの建物にも「鳥羽・伏見」の時の弾痕があります。
そんな物騒なところで、よくまあ、酒なんか造っていたもんです。こんな場所は、日本中探しても、他にはないでしょう。
ここに水が湧く理由を、同席した京都「三嶋亭」のM社長に尋ねましたところ、
・・・京都盆地の底はな、擂り鉢みたいな形をしてまして、水が溜まりやすうて、そいでな、全体に南に向かって傾斜してますもんで、溜まった水が南へ行って、湧いて出るところがありますねん。それが伏見です。
なるほど。
そういう奇特な土地の奇特は御酒を飲まない手はありません。
この日は祇園から芸者衆も出張して来ていて、良い気分。
でも泊まってしまうことは出来ませんでした。翌日の朝に、浅草雷門横丁一斉清掃があるからです。大変ザンネンながら、20時発東京行きの「のぞみ」号に乗車するため、急いで伏見を後にしました。
あーあ、お名残惜しいなあ、お姐さんが。
イヤ、間違えた、大帝陛下の御陵が。
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