住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その12
さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その12です。
<29大ニュースその12>
2015年7月 母・綾子が他界しました。
母が逝ったのは2015年(平成二十七年)七月九日、浅草寺で「ほおずき市」が開かれている日。七十六歳と一日でした。
母は十年ほど前からパーキンソン病でした。
パーキンソン病は、脳内のドーパミン不足を原因とする神経変性疾患の一つですが、治療が困難なことから日本では「特定疾患」つまり難病に指定されています。典型的な症状として、手や足のふるえ・動きの鈍化・筋肉のこわばり・体のバランスの偏りが見られます。
発病から十年ほどで亡くなることが多い病気だそうですが、この頃母もそのステージに入って来たのです。病はだんだんに進行し、2014年の冬あたりから転倒することが増えましたが、母を片時も一人に出来なくなったのは最後の2か月間ほどでした。ふらつきながら料理や掃除、洗濯それから趣味の書道をやろうとする母を家族は交代で見守りました。
そんな暮らしがいつまで続くのだろうと思い始めた頃、6月下旬「その日」は突然やって来ました。
全くもって突然でした。その前日には、頭の傷も少し癒えたことだし、そうだ、また洋食を食べに行こうと母を誘っていたところでした。
母も応じて、そうだね、この前は楽しかったね、また行きたいね!と言っていたのですが、その翌朝母は起き上がれませんでした。全く起き上がらない母を不審に思った父が119番、搬送された病院で極度の低血糖と診断されました。
低血糖に誘発されて心肺機能も低下、十二日間の入院生活の後最終的な死因は肺炎でした。
世間には介護で大変な思いをなさっている方が多いですから、それと比べれば中程度の負担で、しかし「あっけない」ということでもなく最後の時間をもてました。
本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。
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