ニッポンチ!⑦
小学館の文芸雑誌「qui-la-la」(きらら)で河治和香先生の新連載「ニッポンチ!」が好調です。
和香先生が、「駒形どぜう」の三代目を主人公にした小説『どぜう屋助七』(2013年)にウチのご先祖を登場させて下さって以来、新しい連載が始まるのを楽しみにしておりますが、今回は明治の浮世絵師を主人公にした小説です。登場する絵師の作品がウチにあったりしますので、なおさら楽しみなことです。
登場するのは歌川国芳門下の絵師たち。国芳には歌川芳虎、芳艶、芳藤、落合芳幾、さらには月岡芳年、河鍋暁斎といった弟子がいましたが、国芳が幕府に逆らう位の人だったので、弟子達の性格も皆ユニークで。その人物描写もまた、この小説の面白いポイントだと思います。
連載7回目の2月号には圓朝が登場しました。
そう、落語の三遊亭圓朝です。
落語の世界で知らぬ人のいない圓朝が国芳に弟子入りしていたことを私は全く知らず、
そ、そうだっけ・・・とWikipediaを調べてみたら、たしかに、
嘉永4年(1851年):玄冶店の一勇斎歌川国芳の内弟子となり、画工奉公や商画奉公する。
と一行書かれていました。
そのころ圓朝の父が女と駆け落ちし行方知れずになったため、父の後ろ盾がないなら、落語のような浮き沈みのある世界より画工の方が確実だろうと入門したそうですが、やがて父は出戻り、画工修行期間は一年ほどであったと言います。
それでも徹底的に写実を重んじる国芳の流儀は圓朝にも伝わっていて、それが後の幽霊噺での描写力につながって行ったと小説では語られています。なるへそ。
本筋から少し逸れるのですが、今章で感心したのは、国芳の弟子に対する接し方、弟子の採用の仕方です。
国芳はあえて愚鈍な子を弟子にしたそうです。お遣いに行かせると道を間違うような子を入れて、面倒をみ続けたと言います。
おめえくらい役にたたない者はいないぞ。おめえのような愚図は世間に出てもやっていけないぞ。
と言いつつも、
しかし絵師なら、腕を磨きさえすればやっていけるぞ。一流になれば先生と言われるのも夢ではないぞ。と励ましたそうです。
お遣いに失敗して叱られると思った子は、励まされて驚き、泣いて感謝したとか。その代表が圓朝と仲良しだった芳年や芳藤です。
国芳門下が栄えた理由は、こういうところにあったのだなあ、という大変勉強になる一章でした。
本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は3.618本目の投稿でした。本年3月1日まで無事連載が続けば10周年になる予定です。引き続きご愛読を。
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