レビュー
久しぶりにAmazonの、拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』のページを開けたら、レビューが増えていました。
私の意図を読み取って下さって大変嬉しかったので、ここに転載します。 投稿者は「新百合ヶ丘総合研究所」さんという方です。ありがとうございました。
(以下転載)
すばらしい本である!
この本はすき焼き「ちんや」の六代目である著者と浅草の老舗の主人9名との対談の形式をとっているが、 対談本で、これだけ重みと余韻を感じたのは初めてである。
この本のポイントは、登場するすべての老舗の主人が、親や身内から店を継いだということにある。 彼らの祖父や親は、あの関東大震災、東京大空襲を経験し、瓦礫の中から店を再建し守り抜いた人であり、 彼らはそんな姿を見てきた。そして今度は彼ら自身が浅草の暗黒の70年代を味わなければならなかった。
論点は、なぜ彼らの親たちは浅草に見切りをつけなかったのか、また彼ら自身も、なぜ親たちの跡を継ぎ、 逃げなかったか、にある。 この本を読んで、私はその秘密の一端がわかったような気がした。 それは、彼ら自身、祖父や親のことを克明に覚えているではないか、 そして、たいへん失礼な言い方になるが、どなたも浅草について造詣が深いではないか。 つまり、彼らも彼らの親たちも、浅草にものすごく関心を持ち、浅草が好きだったから浅草を離れることなどできなかった、 あるいは考えすらしなかったのではないだろうか。 著者自身もまさにそうである。
そんな著者が対談の相手役になっているのだから、 本の内容も、他の対談本とはまったく異なり、濃く、深く、重くなっていくのは当然である。
「浅草演芸ホール」会長松倉久幸氏は対談の中で「そりゃあ、生きていれば、人間、浮き沈みがありますよ。でも、決して諦めずにいれば、ここで立ち上がってまた生きられる。浅草はそういう町です」と語っている。そして、浅草は再起できる町でもあるからだ。(終わり)
追伸、「適サシ肉の日」
が日本記念日協会さん公認の記念日に成りました。
昨年私が「適サシ肉宣言」をした1月15日です。お見知りおきを。
「記念日制定の由来」は以下の通りです。
「2017年1 月15日に、東京浅草の老舗すき焼き店「ちんや」の六代目当主・住吉史彦が、自店で過剰な霜降肉(A5等級)を使うことを止め、「適サシ肉」すわなち適度な霜降の入った肉だけを使うと宣言した。本件は各種メデイアやインターネットで大きな反響を呼び、「A5信仰が終焉した日」として日本の食肉業界・飲食業界に記憶された。なお「適サシ肉」という言葉は住吉による造語で、株式会社ちんやは後にこの言葉を商標として登録した。」
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.890連続更新を達成しました。すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。
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