長寿企業の知恵⑤
ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。
この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。
こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。
(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その5日目です)
朝岡「飲食の長寿企業は、他業種とまた違う難しさがある?」
住吉「最終的に、こちらの考えを味として表現しないといけないというのが当然ながら最も難しい点です。だいぶ研究されては来ましたが、味は文字や数値に出来ないですから。感覚的に覚えるしかありません。その結果としてスタッフを長い目で育てる、即戦力を期待しない、という形になっているのだと思います。」
石田「浅草に『すき焼き店』が多いのはなぜでしょうか?」
住吉「浅草にすき焼き屋が多いのは偶然です。牛鍋が世に登場した時、繁華街としての浅草が全盛期だっただけです。要するに、時代が変わって、商売としての「狆屋」の将来性が脅かされた時期と、浅草の全盛時代が同時期だということです。狆屋をやるより、飲食店の方が儲かると考えたのだと思います。」
<ナレーション>創業から137年、「すき焼きちんや」に継承されてきた歴史や伝統、その裏に存在する長寿企業ならではの家訓や理念とは。
石田「家訓や理念などはございますか?」
住吉「実は、弊社には“家訓”といった明確なものは存在していないんです。弊店に家訓がない理由を考えてみました。まったく想像ですが、当主が二代続けて婿さんであったからかもしれません。私は父から、お爺ちゃんは自分が婿だということを結構気にしていたようだと聞かされたことがあります。祖父は浅草料理飲食業組合の組合長を務めるなど浅草の要職を歴任したのですが、それでも婿意識というのは消えないものだったようです。プラス、時代があまりに激動の時代で、家訓などというもっともらしいものを遺す気にならなかった、ということもあるような気もします。
「ちんや」の歴史では、
1868年の明治維新で狆が売れなくなったのが第一のショック。
1923年の関東大震災が第二のショック。
1945年の東京大空襲が第三のショック。
で、家訓など整頓する場合ではなかったような気がします。こういう時代を、他家から迎えた優秀な婿さんが凌いで「ちんや」は生き残りました。しかし、家訓を創ろうという気にはならなかったのだと想像できます。あくまで想像ですけどね。私の代になってからも、BSE問題、口蹄疫問題、リーマンショック、東日本大震災などがあって、まったくゆとりというものが在りません。そろそろ後世のことを意識した動きをしないといけないのでしょうが、いやあ、どうも忙しくて。そう、忙しくて、飲むのが(笑い)」
朝岡「言葉にしなくても“自然”と受け継がれてきた面もある?」
住吉「料理屋ですから<この続きは、明日のこのブログで>
追伸
Dancyuさんのお誘いにより、
二子玉川髙島屋の催事「第3回 dancyuフェスティバル~dancyu×高島屋 グルメの祭典~」に出店しています。もちろん「適サシ肉」を販売しますので、お近くの方、どうぞお立ち寄り下さい。
会場:玉川髙島屋本館6階催場
会期:10月25日(水)→30日(月)
営業時間:午前10時~午後8時
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.799日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。
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