牛鍋の成立

洋食に関するご取材がありました。

牛鍋や、お好み焼き、ラーメンまでも視野に入れて洋食を考える、という御本だそうです。「ネタばれ」になるので、ここに詳しく書けませんが、そういう発想は大変結構と思います。

で、牛鍋の成立の件ですが、

私は基本、牛鍋は和食と認識しています。

牛鍋は、江戸時代の「百獣屋(ももんじや)」で提供されていた鍋の延長性上の食べ物と私は考えています。

「ももんじや」さんは今でも両国橋東詰めにあって、猪鍋が食べられますが、あのお店さんは18世紀から続いているお店さんです。ビルの外壁に猪の剥製を吊るしているので、目立つお店ですよね。

もちろん、江戸時代はアングラの店でした。高貴な方がお通りになる時は、営業を中止させられたとか。しかし人が精をつけたいとい欲求には勝てませんから、繁盛していたようです。

ただし、です、百獣の中でもタブー感は、獣によって一様ではなかったようです。

猪・熊・鹿などジビエ的な獣は比較的「食べ易い」獣。

一方、牛・馬は日頃使役して可愛がっているので、それを食べるについてには、タブー感が強くて「食べづらい獣」という感覚でした。

その「食べづらい」獣=牛が、幕末・維新を経て、西洋人の影響で食べづらくなくなった、というのが、牛鍋の本筋だと私は理解しております。

つまり根本は和食、それが西洋人の影響で少し変わった、という認識ですね。よろしくお願い申し上げます。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.751日連続更新を達成しました。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM
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