平成元年

平成最後ということで、今年だけでなく平成時代そのものを回顧する記事や番組があって、色々考えさせられます。
さて皆さん、平成元年(1989年)には何がありましたか?
まずは消費税導入(4月)でしょう。そして、それが原因になって、自民党が参議院選挙で敗北(7月)でしょう。
消費税は前年に竹下登内閣が導入を決めましたが、その竹下内閣はリクルート事件で辞職。かわった宇野宗佑総理には女性問題が発覚して、自民党は大敗しました。
躍進したのは社会党でした。党首は土井たか子委員長。女性候補をたくさん出馬させて、「マドンナ旋風」を起こしました。
勝った土井さんのセリフは「山が動いた」。
負けた自民党幹事長・橋本龍太郎さんのセリフは「ちくしょー」でした。懐かしいですね。
あれから30年と少し。消費税が30年かけて来年ついに10%に。ウチもレジその他対応しないといけません。
平成とは消費税の時代だったのですねえ。とほほ。

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ゲートウェイ

げ、げーと、うえい、だって?
JRさんが公表した駅名に驚いた方が多かったと思います。
田町駅と品川駅の間の辺りには、
・かつて江戸の玄関口「高輪大木戸」 (Gateway)が置かれていたから。
・周辺に「グローバルゲートウェイ品川」という名の再開発が進んでいるから。
ということで、新駅名は「高輪ゲートウェイ」になるそうですが、なんと、まあ、キラキラなこと。
「大木戸」という言葉を思い出させてくれたのは結構なんですけど、反対運動が起きそうですね。
ま、でも、たぶん使わないから関係ないな、この駅。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 8:44 PM  Comments (0)

53歳

おかげさまにて、53歳の誕生日を迎えました。
11月に間抜けなアクシデントで入院しまして、その後退院はしているのですが、本調子までは「もう少し」です。それでも普通に仕事をし、食べていられることは在り難いことと思っております。
思えば、1988年に学校を卒業、平成の始まりとほぼ同時期に社会に出ましたから、その平成がまもなく終わることは感慨深く思います。
在職中には、バブル崩壊・リーマンショックといった経済の問題、東日本大震災、BSE・口蹄疫といった色々の災害があって、対応に追われてしまいました。
その一方で、「すきや連」を10年間開催したり、2017年には「適サシ肉宣言」をしたりと、業界にほんの少しは貢献できたのかな、と自負もしております。
さて、新しい時代に何をしたら良いのか、まったく想像できませんが、振り返れば、1988年の時点で、今の状況を全く想像できていませんでした。
どうなりますやら不透明ですが、しばしおつきあいいただきたく、お願い申し上げます。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 1:42 PM  Comments (0)

平成最後の

12月に入りまして、「平成最後の〇〇」という言い方が増えてきました。
「平成最後の忘年会」
「平成最後の新年会のご案内」
ツイッターにも「平成最後の師走」というハッシュタグが出来ているようです。そのハッシュタグの付いた投稿を見ていくと、イベントの告知が多く、別に「平成最後」に相応しいと思えないものも多数含まれていて、単にイベントを盛り上げたいだけか・・・と思ってしまいますが、ともあれ、平成最後の師走です。
そもそも、元号は不便だし、国際的に通用しないから、もう要らない!と言う人も少なくないようです。私も西暦への読み換えが面倒だと思うことがありますが、良いところもあります。
それは天皇家の代替わりと自分の家の代替わりを比較しながら感傷に浸れることでしょう。
今上陛下は1933年生まれですから、ウチの父の2歳年上。美智子さまが入られたのが59年で、皇太子さまがお生まれになったのは60年。私が生まれたのは65年です。
私が社長に成ったのは2001年で36歳でしたが、皇太子さまは随分じっくり登板する形になります。父上の今上陛下が55歳の登板(1989年)で歴代2位の遅さでしたが、それを上回りますね。
このように皇室と自分の家を比べるとか、不敬にも思えるので、口に出して言わない人も多いでしょうが、内心は同じように思っている方は多いかと想像します。
アメリカでも元号をやったら良いんですよね。
とらんぷ元年とか。ひらりー二年とか。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 1:10 PM  Comments (0)

今どきのテレビ②

19日の夜から、間抜けなアクシデントにより入院しております。
たまの休みだから、パソコンを持ち込むのは止めよう、ということで、持ってきておりません。
よって、テレビを視るしかやることがないです。
朝から晩まで視ています。
で、気づいたことが。
ドラマの主演俳優や女優が、同じ局の情報番組に登場して、番組の宣伝=所謂「番宣」をしています。「番宣」がカッコ悪いこととされていたのは昔の話し。連日、どこかの局で「番宣」が行われます。
そして、そこには必ず同じ傾向が。
情報番組のキャスターが主演俳優や女優について、
気配りがスゴい!
と称賛するのです。その結果、
現場のムードが最高!
だとも。
ムードを良くするために、主演者は共演者やスタッフに差し入れをするんだそうで、その差し入れに使われたのと同じスイーツがスタジオに運び込まれて、皆で食べ始めます。
その後は、ずっとスイーツに関するトークで、どんなドラマなのかは???
うーん。
私は昭和な人間なので、ドラマ撮影の現場は殺気だっている方が普通だと思っていました。
対立する役とか、ライバル役の俳優が、一緒にスイーツとカフェで談笑している図って、
なんだかなあ・・・
と思ってしまうんですよねえ。
それでもテレビしかやることがないので、朝から晩まで視ています。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:11 PM  Comments (0)

今どきのテレビ

19日の夜から、間抜けなアクシデントにより入院しております。
たまの休みだから、パソコンを持ち込むのは止めよう、ということで、持ってきておりません。
よって、テレビを視るしかやることがないです。
朝から晩まで視ています。
で、気づいたことが。
今どきのテレビって、
ジャニーズと
吉本と
女子アナ
しか出ていないのですねえ。
その3つともあまり興味がなく、名前も良く覚えていない私にとっては、正直、面白くありません。音楽とかドラマとかやってくれれば入り込めますが、トークばかりで、トークの内容は、テレビ業界の内輪ウケ。
退屈してチャンネルをEテレに回しましたら、
あ、知ってる人が出ている。
解説委員さんなら、知っている。

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歴史の男

ある日テレビの散歩番組を視ていたら、昭和40年(1965年)創業の料理屋さんが「老舗」と紹介されていました。
昭和40年と言えば、私の生まれた年ではないですか!
この件を同期の諸君にも知らせようと思い、FBに投稿してみますと、
「歴史の男ということかと。笑」
「昭和レトロ、もはや30年前、僕等の生まれた30年前は大戦前になっちゃいますよーーー、やだやだ」
もっともベンチャー企業の生き残りは大変で、企業の生存率について以下のような統計があるようです。
設立1年=40%
設立5年=15%
設立10年=6%
設立20年=0.3%
設立30年=0.02%
50年となると、もはや計測限界以下のようですね。
と、なると、50年になったら「老舗」と呼ぶのも、あながち不適当ではないかもしれませんが、浅草に住んでおりますと、昭和の戦争以後のお店さんを「老舗」と言うのは、やはり違和感がありますね。戦争の影響が甚大だったからです。
同じような感覚で、東北沿岸部では2011年の津波を経験した会社を、やがて「老舗」と呼ぶようになるのだろうと思います。
色々申しましたが、「老舗」という言葉は、「何年」という数字とは少し違う尺度で考えるべき言葉なんだなあと思った一件でした。

追伸⓵
このところ連日忘年会のご予約を頂戴し、在り難く思っております。
ご検討中の方は、早めにお決め下さいませ。

追伸⓶
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.189日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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トレンド

「東都のれん会」のリーフレットに弊店を載せていただけることになり、取材の方が見えました。
で、問答しました話題は、その昔、
・なぜ「狆屋」を止めて、料理屋になったのか?
・料理の中でも、なぜ牛鍋に特化していったのか?
どちらも理由は伝えられていません。
なぜ、伝えられていないのか?
おそらくは、当時積極的にそういう方向に行ったわけではなく、仕方なくそういう方向に行ったからだろうと思います。
志があったのなら、伝わっているはずです。伝わっていないのは、そういう方向に行くしかなかったからだろうと、私は思っています。
・「狆屋」を止めたのは、狆が売れなくなったから。
・牛鍋に特化したのは、「これからは日本人が肉を食べるようになる」と思ったから。
だと思われます。
言い換えれば、私のご先祖は「トレンドに素直な人間」だったのだろうと私は考えています。
ここで解せないのは、その子孫である私が、トレンドに逆らう人間だという点です(笑い)
世間が「霜降りだ!」「いや赤身だ!」と言っているのを観て、私は「いや適サシだ!」と言いたくなりました。
世間が「肉=ガッツリ」とイメージしているのを観て、私は「いや、ちょい食べだ!」と言いたくなりました。
どうも、私は「トレンドに素直」より自分でトレンドを創るのが好きです。
なんで、そういう当主が出て来たんでしょう?
不思議ですな。

追伸⓵
このところ連日忘年会のご予約を頂戴し、在り難く思っております。
ご検討中の方は、早めにお決め下さいませ。

追伸⓶
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.184日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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中間選挙

<米国中間選挙のニュースを視ていて思うこと>
・社会の分断は、とてもお気の毒だと思うけど、正直、私に何か出来るとは思えないので、視なかったことにしようと思う。
・どうも最近浅草で「フェイク予約」が多いと思う。
ん?
いつの間にか、いつもの「あるある」になってしまった・・・
そう言えば、数年前まで浅草に「フェイク」という屋号のバーがありました。若いマスターが、
自分はバーテンとしては未だ未だですから・・・
という謙遜の心を込めて「フェイク」にしたとかで、立派なお心がけだと思ったものでした。とらんぷ氏に聞かせてやりたいです。
すき焼きの「岡半」さんの命名の経緯も似ています。創業者の岡副鉄雄氏が既に料理人として著名であったにも関わらず、「未だ未だ半人前」という自戒の気持ちを込めて「岡」「半」にしたそうです。
この件について、ヤホー「知恵袋」なるサイトに、
「岡半の「半」は当時すでに有名なすきやき料理店だった「今半」から取ったのではないでしょうか。」
と書かれていますが、これこそフェイク・ニュースです。とらんぷ並みのフェイクですな。
話しを浅草に「フェイク」さんに戻しますが、2016年にとらんぷ氏が、まさかの当選を果たす前、マスターが南国の土地に行かれて、惜しまれつつ閉店しました。
その「フェイク」さんが続いていたら、今頃どうなっていただろう?繁盛していたに違いないと思うことがあります。
私ならまず店に、とらんぷ氏の巨大な肖像画を掲げます。
次に、とらんぷ氏の巨大な人形を置きます。
コースターも、とらんぷ柄にします。
それを連日インスタに上げます。
名物のカクテルの名は、Fakey-sake!
うん、繁盛間違い無し。

追伸⓵
このところ連日忘年会のご予約を頂戴し、在り難く思っております。
ご検討中の方は、早めにお決め下さいませ。

追伸⓶
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.183日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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営業マンあるある

値上げしたい時だけ訪問してくる、取引業者の人がいます。
まったく、その仕事で暮らして行けるなんて羨まぴーです。
そういう人のことを
「営業マン」と言えるのか、な?
とFBに投稿しましたら、
あるあるですね
結構そういう人、多いですよね…(^_^;)
とコメントが。
はい、まったく、営業マンあるあるだと思います。トホホです。

追伸⓵
東京商工会議所が主催する、第16回「勇気ある経営大賞」において、株式会社ちんやが「奨励賞」を受賞させていただきました。
受賞理由は、
「格付や等級ではなくすき焼きにあった肉の提供に向けた挑戦(適サシ宣言)」でした。
権威ある賞を弊社が受賞できましたのは、ひとえに皆様のご愛顧の賜物とあつく御礼申し上げます。

追伸⓶
今夏8月4日より「ちんや」ビル地下1階の「ちんや亭」が、
「肉の食べくらべレストラン」として再スタートしました。
今回すべての肉メニューに「ちょい食べサイズ」(ハーフサイズのこと)をご用意することに致しました。
くわしくは、弊ブログの8月4日号をご覧くださいませ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.175日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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