ファザコン

さて、皆さん、「ごちそうさま」を漢字で書いてみましょう。

難しいですね。難しい理由は、食べ物に関する言葉なのに「馳(は)せる」「走る」と直接関係無さそうなイメージの漢字を使うからですね。

その「馳走」の語源を、ここで念のため確認しますと、本来は「走り回ること」です。

そこから転じて、客の食事を用意するために走り回る意味となり、やがて、そのことに感謝する意味で「御」と「様」が付いた模様です。高級な食べ物そのものを意味する場合もありますね。

食後の挨拶語として使われるようになったのは、江戸時代後半とされているようです。日本語は難しいですね。

では、もう一つお尋ねしますが、「御馳走」あるいはさらに丁寧な「お御馳走」という言葉に最も近い料理は何ですか?

色々御意見はあろうかと思いますが、私はすき焼きと思っています。

先日ネットで発見したのですが、

大御所俳優の高橋英樹さんは、娘でフリーアナウンサーの真麻さんのために、すき焼き用の材料を、走り回って買って来てくれるそうです。

すき焼きをしていて、「長ネギない!」と真麻さんが言うと、「じゃあ、パパ自転車で買いに行く」と出て行く、のだとか。大御所なのに。

その他にも、英樹さんはとにかくマメで、京都に撮影に行っているときでも、必ず朝と夜の2回電話をしてきて、1日何があったか全部を真麻さんに説明するという。

結果、真麻さんは、

「私の悩みは、彼氏への不満はないんですけど、父親が理想の男性過ぎて、彼氏へのハードルが上がってしまうことです」

「ファザコンの女性をどう思いますか?」とバラエティ番組で話題になっているそうな。

いえいえ、真麻さん、それこそ、語源通りの「馳走」だと思いますよ。

カレシも対抗して、オヤジ以上の馳走を敢行し⇒ハートを射止めれば良いだけのことです。

オヤジがすき焼きなんだから、カレシは、しゃぶしゃぶ、です・・・か・・ね。

 

追伸①

TV東京『和風総本家』に「ちんや」が登場します。

「ちんや」に豆腐を納めて下さっている「市川食品」さんを密着取材する特集の中で登場します。5月16日(木)21時~放送です。ご覧ください。

http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.164日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

早獲り蓮根と四角豆

 GW連休の真っただ中ですね。急に暖かくなったような気がします。

この季節にあわせ、「ちんや」の「変わりザク」も変わりました。新緑の味覚です。

「早獲り蓮根」(熊本県産)と   

「四角豆とスナップエンドウ」 (宮古島産、静岡県産)です。

これを、すき焼きに入れていただきます。

蓮根というと、おせちに入っていることから普通は冬の味覚ですが、この早獲り蓮根には別の魅力があります。

冬の蓮根が、ややネットリしているのとは食感が違い、みずみずしさが楽しめますので、「辛子蓮根」の本場から取り寄せることにしました。

この時期の蓮根だけの貴重な感覚でして、よく天麩羅屋さんで珍重されていますが、すき焼きも結構楽しいと思います。

もう1点は、四角豆とスナップエンドウです。

島の四角豆とスナップエンドウの心地よい青臭さと苦味は、一足早い夏の気配を感じさせてくれます。

四角豆は少々グロテスクな外観ですが、食べますと、南方原産のせいか、苦みが呑気な感じがします。スナップエンドウは莢(さや)が固くならないのが特徴で、丸ごと食べちゃっていただきます。

2点ともボイルしてありますので、味が浸み込めば食べられます。

どうぞ、お召し上がり下さい。

追伸①

TV東京『和風総本家』に「ちんや」が登場します。

「ちんや」に豆腐を納めて下さっている「市川食品」さんを密着取材する特集の中で登場します。5月16日(木)21時~放送です。ご覧ください。

http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/wafu/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.158日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

ロストロポーヴィチとすき焼き

一日に一度ツイッターに「すき焼き」と入れて検索していますが、ある日、東京文化会館音楽資料室@tbkmlibraryさんのツイートを見つけて、

おや!と思いました・・・

【ロストロポーヴィチ】何度も来日した親日家だった。初来日の1958年、山田耕筰がすき焼きをご馳走してくれ、すき焼きにビールを入れて柔らくするという知恵に驚き、日本の食文化に興味を持った、と常々語っていた。相撲も好きで、九重親方とも親しかった。

というツイートです。

ロストロポーヴィチと言えば、往年のチェロの巨匠です。私がチェロをかじっていた頃カザルスは既に他界していて、ロストロさんの存在が圧倒的でした。技術のスゴさは勿論、スケール感・レパートリーの広さでも群を抜いた存在でした。

そのロストロさんが、すき焼きにビールを?

確認してみますと、事実のようです。

初来日した1958年に、作曲家の山田耕筰に案内されて食べた日本食と食文化に感動し、以後日本への興味が深まり、すっかり親日家になったそうです。

中でも築地市場見物が日本演奏旅行の楽しみの一つで、競り場で早朝飛び交う声を「日本のオペラだ」と言って愛好していたそうです。

ついには、築地で働く人々の間にロストロ・ファンクラブができたとか。

ロストロさんはソ連時代の勇敢な反体制運動でも広く知られ、尊敬されていて、2007年に亡くなった時は、世界中から深く惜しまれました。

さて、話しは戻りまして「すき焼きにビール」ですが、

まあ、ビールの酵母が生きていれば、肉を柔らかくする作用はありましょう、一応。

でも、山田耕筰が用意した肉は、そんなことをしないといけないほど、硬かったのでしょうか。

熟成させれば、それで充分柔らかくなると思うのですが、物の無い時代の話しなので、今となってはわかりません。

それにしても、硬い肉が日本とロストロさんを繋いだとは、何が幸いを成すか分からないものですね。

ともあれ、久しぶりに聞いてみたくなりました、ロストロさんの「無伴奏チェロ組曲」を。

追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は351人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.156日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

「昭和の日」に

昨日は「昭和の日」でしたね。

では昭和をイメージする食べ物と言えば、何ですか?

それは、すき焼き という方が多いようです。

当事者のこちらは、すき焼き=明治時代と思っていますが、世間的には、すき焼き=昭和時代という方が多数かもしれないですね。

最近の、昭和リバイバル・ブームに火を点けた映画『ALWAYS三丁目の夕日』(2005年)の続編『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)が、そうでしたね。

この映画の時代設定は、東京タワー建設中の昭和33年。

皆さん、ご存知とは思いますが、当時の下町に生きた人々が常に前を向いて生きていたことを想い出させてくれる映画で、日本アカデミー賞で監督賞・作品賞をはじめとする賞を総ナメにしました。

その続編では、主役の鈴木則文の親戚の鈴木大作が事業に失敗して⇒東京を離れダムで働くことになったため、一人娘の美加を則文の家に預かってもらう、という所からストーリーが始まります。

則文は社長とはいっても零細企業の社長だから、貧乏人です。それに対して大作は失敗したものの大きな事業をやっていたらしく、娘の美加はお姫様風でわがままそうです。

で、則文が精一杯張りこんで、美加の為に用意した「すき焼き」に対して文句を言ってしまいます。

「すき焼きは牛肉でしょ。これは豚肉。これはすき焼きじゃないわ!」

「おまえ、人んちに世話になっといて、何言ってるんだよ。おまえのお父ちゃんが事業に失敗したからいけないだろ」美加は泣き出して2階の部屋へこもってしまった・・・というわけです。

事業に失敗しても、ダム工事の肉体労働でなんとかなる、という辺りが昭和です。

そう言えば、一昨年『関口宏の昭和青春グラフイテイ』というBS―TBSの番組に、弊店がお採り上げいただいた時のテーマも「昭和の子どもの贅沢」でした。

分析してみますと、

明治のすき焼き=書生の食べ物、文明開化を実践するために、多少無理して新奇な食べ物を食べる

昭和のすき焼き=家族の食べ物、高度成長で裕福に成った、ご褒美として食べる

という感覚でしょうか。

すき焼き用に霜降り肉を作る試みが、ちょうど戦後・昭和30年代辺りから上手く行き出しましたので、それが高度成長のタイミングと合致したのだと思われます。

さて、皆さんは「昭和の日」に何を食べましたか。

 追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は348人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.153日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

JPタワー

肉に詳しい方なら、「松阪牛」というブランド名が使われだしたのが戦後のことであるとご存知かもしれません。

それ以前=戦前には、松阪を中心とする三重県で肥育された牛は皆「伊勢牛(いせうし)」と呼ばれていました。

この内、松阪の牛が1935年(昭和10年)に東京で行なわれた『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようにり、やがて独立・ブランド化の方向へ進みますが、おり悪しく日本は戦争に入ってしまい、松阪が独自のコンクール=第一回「松阪肉牛共進会」を開催し始めたのは、戦後の1949年(昭和24年)のことでした。

さらに「松阪肉牛協会」が設立されたのは、1958年(昭和33年)のことです。この協会は、松阪の出荷業者と、東京の「販売指定店」(=一流の肉店や問屋のこと)で構成されており、「ちんや」も参加しています。この体制で今日に至っています。

さて、ここまで松阪牛の説明をした後でナンですが、今日の話しは松阪牛の話しではありません。

「松阪牛」が独立した後の、「伊勢牛」の話しです。

「松阪牛」が日本の高級肉のトップブランドとして成功した後は、「伊勢牛」という言い方は、影に隠れてしまった感がありますが、無くなったわけではありません。

伊勢市のすき焼き店「豚捨」さんは、今でも「伊勢牛」の看板を掲げて奮闘しておいでです。

「豚捨」の当代の御主人は私と同年。「すきや連」で良く御一緒します。

で、その「豚捨」さんがこの春、東京進出を果たしました。場所は丸の内JPタワーの中です。JPとはJapan Postのことで、旧東京中央郵便局跡地の再開発ビルの中です。

そう、アソウ内閣の頃ハトヤマ・クニオ大臣が、

こんな貴重な歴史的建物を壊すのか!

と怒っておいでだった、あの建物が結局壊されて、超現代的ビルに成りました。

そういうビルで食事するのは、だいだい私は基本的に嫌いですが、その現代的ビルの中にあって、「豚捨」JPタワー店は、意外に落ち着ける空間でした。神棚も伊勢から持ってきてあります。

「あのビルの中では・・・」という感覚は、向笠千恵子先生と「すきや連」の用談でメールをしていた時に、この新店の話しになり、意見が同じで嬉しくなりました。

江戸東京の原住民はハッキリ申して、ああいうビルを好みません。しかし、ビル全体はそうでも、「豚捨」さんの御店は居心地悪くありません。内装が工夫されていますし、御主人のお嬢さんが作務衣を着て、行列成す客をさばいておいででした。

肉は、勿論結構。なんせ元々は「松阪牛」ですから。

開業一か月で、まだまだ混んでいますが、人出が落ち着いて来たら、皆さんも、お出かけ下さい。

 追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は348人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.151日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

木村荘八展

東京駅の「東京ステーション・ギャラリー」が改修工事を終えて、展示を再開しました。

その再開記念展は、

『生誕120年 木村荘八展』です。私も拝見して来ました。

「ステーションギャラリー」は以前から明治の開化絵展を開催するなど、近代日本の渋い美術に力を入れて来ましたが、再開記念展が木村荘八とは、あまりの渋さに、うーん、と唸ってしまいました。

荘八のことや、その生家の牛鍋店「いろは」のことを記憶している方は、今やかなり少数と思います。永井荷風の『墨東奇譚』の挿し絵画家と言えば、ああ、と思い出すかもしれませんが、正直、さほど有名ではありませんね。そこを突いたわけで痛快なことです。

そして、さらにこの展覧会の代表作品が、なんと『牛肉店帳場』(昭和7年=1932年作)なのです。チラシにも掲載されていて、驚きます。

さて、木村荘八(きむら・しょうはち)のことをあらためてご紹介しますが、洋画家・荘八は明治26年(=1893年)に東京・両国広小路の牛鍋店「いろは牛肉店」第八支店に生まれました。

荘八の父・荘平は、当時日本最大の牛鍋チェーン店「いろは」を経営し、「いろは大王」と言われた人物でした。

多数の愛人・妾がいて、東京市内20箇所にのぼる支店に、その愛人をそれぞれ配置して経営にあたらせたことが有名です。画家になった荘八は、その妾腹の第八子なのです。

荘八は、やがて浅草に在った第十支店の帳場をまかされますが、画業の夢を断ちがたく、帳場をしながら、絵も学んでいました。

やがて画家に成る夢を叶えますが、今回展示されている『牛肉店帳場』という作品は、その荘八の、若き日への追憶の結晶です。

「いろは」チェーンは、荘平の死後すぐに傾いてしまいました。しかし、この絵の中で今も活き活きと、戦前の猥雑さを漂わせながら営業しています。

皆さんも是非ご覧ください。

浅草を描いた作品も何点もあります。また戦後の『東京繁昌記』も見ごたえがあります。

展示は、5月19日(日)までです。

追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は348人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.150日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

母の日

バレンタイン・デーには猪口を贈る、いやチョコを贈る、そして「母の日」にはカーネーションを贈る、と決まっていますね。

数ある「〇〇の日」の中には、特定の品物と結びついているものと、「父の日」のように結びついていないものがありますが、結びついている方が、どうも盛り上がってるように見えてしまうのは、やはり関係業界が告知に熱心だからでしょうか。

日本で行われている5月第2日曜日の「母の日」は、アメリカのアンナ・ジャービスの「母の日」を輸入したものですが、良く調べますと、最初は単純に母を想うだけの日ではなかったようですね。

アンナの母アン・ジャービスは、教会の日曜学校の教師で、南北戦争中には負傷兵の衛生状態を改善するために、地域の女性を集めて活動していました。

アンの死後に娘のアンナが、母が勤めていた教会で、母を偲ぶ記念会を開催したのが、アメリカの「母の日」の起源だそうです。アンは記念会の参加者に、母が生前好きだった白いカーネーションを贈ったそうで、これがカーネーションの、そもそもです。

ですので初期の「母の日」は、単なる家族内のお歳暮のようなものとは、かなり性格の違うもので、また贈る品物についてもカーネーションと決めてしまうより、母の好きなモノ、という所がポイントのように思えます。しかしながら、

何でも良いから、お母さんの好きなモノを贈ろう!

と言うのでは、やはり「〇〇の日」としては盛り上がりませんね。

記念日として普及して行く間には、品物に焦点が当たって行く感じになりましょう、どうしても。

さて、では「ちんや」はこの日はどうするの?ってことですが、

まあ、やりますよ、「肉屋の母の日」を。

古株の肉の職人は、肉を花びらに見立てて上手に盛って⇒「花」を造り上げる「花盛り」というのを出来るのですが、それを予約販売することにします。

でも、さっき書きました通り、元々肉がお好きでなかったお母様には無理にとは申しません。

この機会に「花盛り」という職人芸を認知していただき、何かの機会に注文していただければ、と思っています。

ゴージャス感がかなりありますので、むしろ景気良く盛り上げたい時に良いのかもしれません。

華がある人のお誕生日に・・・なんて、歯が浮きますかね。

 追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は348人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.146日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

東大野球部の、勝利のすき焼き

東大野球部が「すき焼きで連敗阻止」を狙っているそうです。

東大野球部は、元巨人の桑田真澄さんや元中日の谷沢健一さんを特別コーチに招くなど強化を図っていますが、目下、東京六大学リーグで引き続き連敗中。

そんな中、なんとか浮上のキッカケを掴もうと、4月10日夜、野球部の「一誠寮」で「勝利のすき焼きパーティー」を開催した、と報道されていました。

なんでも、

「実は、寮ですき焼きパーティーが開催されるのは20年ぶり。かつてはOBや企業からの寄付金がタンマリ入り、試合前夜には必ず豪勢な“肉会”が開かれ、士気を高めていた。」

へええ、そうだったんですね!

「しかし、バブル崩壊で寄付が激減し、伝統の行事も1993年を最後に中止。この影響からか、成績も低迷した。」

いやはや「この影響から低迷した」とは深刻なことです。

で、

「チームワーストタイの70連敗も見えてくる今、浜田監督の選手時代のチームメートたちが立ち上がった。大企業の役員や中小企業の社長となったOBを訪問するなど、資金集めに奔走。」

「アベノミクス効果もあってか、瞬く間に40万円が集まり、先月、野球部に寄付した。春秋のリーグ戦の試合の前に毎回、すき焼きが振る舞われるという。」

1989年卒の江口夏郎氏によると、

「僕らのころは寮に牛肉があるのが普通でした。OBの方々にお世話になった分、後輩に恩返しをしたい。すき焼きで絆を深め、チーム力が上がれば幸いです」

「研究などで忙しく、練習で全員がそろわないことも珍しくはありません。だからこうした、全員が集まっての肉会は非常に有効。左右の柱となる投手も成長しているし、今年は違った姿を見せられると思います」

うーん、それにしても、すき焼きをするのに「資金集め」をして、それが40万円とは、スゴいです。流石、天下の最高学府。

その最高学府の学生さんが、「すき焼きで絆を深める」とは、是非応援したいところですが、結果は・・・

4/21の早東戦で早稲田の高梨雄平投手に「完全試合」をやられてしまいました。「完全試合」達成は六大学リーグ史上3人目の快挙だそうです。

困るなあ、それは。

 追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は345人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.145日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

潔癖キング

ある日ボンヤリとテレビを視ていたら、芸能界一の「潔癖キング」こと坂上忍さんが登場して、「ズボラ女子陣」とトーク対決をしていました。

なんでも坂上さんは、風呂を出てすぐ使うタオルと=しばらく寛ぐ時のタオルは別などと、タオルの用途を細かく分けていて、1日50枚近くを使うのだとか。洗濯は一日5回、風呂の回数も多いとか。

さらに潔癖エピソードは豊富で、

劇団員を自宅に招いた際に新聞紙を敷き、その上に座らせた、とか、

助手席でクッキーを食べ出した女性を車から即降ろした、とかスゴいです。

さて、問題なのは、坂上さんの食生活です。

絶対に他人と行かないのは、鍋と焼き肉。身内であっても、一緒に鍋OKの身内と、鍋NGの身内がいるのだとか。

ほとんどビョーキです。

ズボラ女子が、

打ち上げは、絶対鍋が楽しいですよ! 信じられな~い、とか、

直箸拒否とかされたら、人間として否定された気がしちゃう!とか非難しますが動じません。

オレは、そういう派ってだけのことだから!と言い放っていました。

最近は、このキャラでブレイクしているのだそうです。

うーん、こと鍋に関しては、私は「ズボラ女子」に1票ですかね。

ズボラで鍋を、やっちゃって下さい。よろしくデス。

 追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は345人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.142日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

すき焼きじゃんけん

ユーチューブ検索で、また面白いものを発見しました。それは、

「すき焼きじゃんけん」!

この動画を投稿したのは「カイゴ大学」という、介護技術を無料で動画配信する、いたって真面目なサイトです。その「レクリエーション介護」の第二弾として、「すき焼きじゃんけん」が登場しているのです。

では、その動画を視て行きましょう。

真面目そうな講師の人が、段取りを解説して行きます。

・まずA4の紙を6等分に分けます。

・その6つの枠に、すき焼きの具材をイラストに描きます。

・描くのは肉、ねぎ、豆腐、しらたき、春菊、たまご の6つで1セットです。

・参加者二人がそれぞれ紙1枚を描きます。

・書けたら、この枠を6つに切り分けます。

・切り分けた紙を袋に入れます。参加者がそれぞれ1枚=1セットを描いてありますから、袋の中には2セットの具が入っていますね。

・さあ、ここまで出来たら、じゃんけん開始です。

・じゃんけんに勝った人が、袋の中から紙を1枚獲ることができて、それをホワイトボードに貼り付けていきます。

・ドンドンじゃんけんします。

・獲った紙が、以前に獲った具とダブっていたら、袋に戻します。

・ドンドンじゃんけんして、先に6種類を揃えた方の勝ちです。

動画では介護士の格好をした若い男女が、じゃんけんをしていました。

男子が連勝するのですが、せっかく勝っても同じ具を引いてしまい、袋に戻さないといけません。

女子は明らかに負け越しているのですが、たまに勝った時に、無駄な具を引かないので、5-4で接戦となります。

勝った者は、ヨオーッシ!

負けた者は、だああ~

と盛り上がり、紙を引いたところで再度ヨオーッシ・だああ~とまた盛り上がります。

ついに最後に男子がまた勝って、なんとか6つ目の具を獲得、画面全体がキラキラと輝き、男子はガッツポーズ、講師の人とハイタッチしたところで、この動画は終わります。

なんだか妙に盛り上がっていました。

なかなか楽しいゲームですね。

でも、すき焼きである必然性は・・・

追伸①

藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に登場させていただきました。
不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

是非ご購読を! 平成24年6月3日、小学館発行。
ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は345人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.136日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)