コロナ対策リーダー

東京都の「コロナ対策リーダー」とやらになろう!と思い、エントリーしてみました。

申し込み自体は簡単。リーダーになるのに必要な研修は月末だそうです。

この制度は、

・店舗ごとに、マネージャーなどを「コロナ対策リーダー」として選任する。

・東京都の研修を受ける。

・研修の受講後、修了したマネージャーがいることが分かるステッカーを店に貼る。

という流れでして、ユリ子知事お得意のステッカー作戦の第二弾です。

研修(Eラーニングだとか)は月末ですが、その前に早くも「宣誓書」がダウンロードできました。

「宣誓書」の中身は・・・

・利⽤者の皆様には、来店時に⼿指消毒をしていただけるよう、呼びかけていきます。

は良いとして、

・利⽤者の皆様には、お⾷事の時以外は、マスクを着⽤していただけるよう、ご案内していきます。

・利⽤者の皆様には、出来るだけ⼩声でお話いただき、⼤声の会話を慎んでいただくよう、呼びかけていきます。

うーん。盛り上がっているお客様がいたら、盛り下げろという話しです。 はい、勿論、やりますけどね。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.046本目の投稿でした。

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春休み

春休みだからか、若い人が浅草に来て下さっています。

卒業旅行が禁止されているので、その代わりなのかもしれません。

年配者が引き続きホームステイしているので、若い人が多く見えるのかもしれません。とにかく目立ちます。

そして、カレ・カノジョ達が楽しそうにやっているのは、

歩き食い・・・

私達の世代は歩き食いは不謹慎と教わりましたし、実際問題として、ゴミが路上に捨てられるとか、汚れた手を拭かずに他のお店の商品を触るとか、トラブルもあります。

が、カレ・カノジョ達の表情は、とにかく楽しそうです。

浅草に行ったら歩き食いをしてみたいと楽しみにして来る人もいるとか。浅草には「縁日感」があって、その一部が歩き食いなのかもしれません。

その様子を見るにつけ、こちらの考え方を修整する必要があるのかなあとも思います。

浅草には過去歴代新奇なものが次々と登場してきました。

そして、その中には最初不謹慎と言われたものもありました。

22日の弊ブログに書いた「浅草オペラ」もそうでした。

「鬼滅の刃」の時代=大正初期の浅草で一番人気があったのはオペラでしたが、その若いファン(当時「ペラゴロ」と呼ばれました)は熱狂的でした。

「ペラゴロ」は、今日のアイドルの「追っかけ」に似ています。その非常識ぶりが、当時の日本で始まったばかりのイエロー・ジャーナリズムの恰好のネタになりました。

オペラ女優ごとに「推し」の集団が出来て、幟をたてて行進、他の推し集団と行き会えば一触即発。

一人のゴロが他のゴロを出し抜いて女優を口説き、アフターの食事に連れ出せば大問題・・・と現代と同じ構図ですね。

西洋のオペラを正しく紹介するという観点ではまったく不謹慎ですが、多くの人が喜んでいた事実は残ります。

まずはゴミの汚れた手の問題を解決して、それでも禁止すべきか考えた方が良いかもしれません。

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過去

「地元の人が知っている浅草の本当の魅力を学び発信していく」サイト

omve-asakusa.jp

に旧知の琵琶奏者・友吉鶴心さんが登場しました。

というサイトを知りました。

omve-asakusa.jp

は浅草の地元出身の、才能ある若い方がやっています。

その中で友吉さんは、こう言っています、

「”夢”ってみんな未来にあると、思いますよね。俺は、過去にあると信じます。過去が未来の”夢”に繋がっていく。」

過去を知ること無しに未来はないというのは同感ですね。

例えば、少々話しが飛ぶですが、オリンピック。聖火リレー。

そもそも、何のために始まったのか。そこが御留守と思うのは私だけでしょうか。

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合格祝い

受験に合格したので→すき焼きというツイートがチラホラ見られる季節になりました。

「娘、志望校合格でしたーε-(´∀`*)ホッ 今夜はすき焼きです!」

「現役合格おめでとー!すき焼きパーティーしてます。 父親が奮発して黒毛和牛買ってきてくれたので滅茶苦茶うまい」

「祝合格 息子の希望ですき焼き 来週からは、引っ越し作業」

「ちーくん高校入試第一志望に合格で我が家も歓喜に包まれています。お祝いはいつもの赤飯に栗を混ぜました…それだけではちーくん以外に怒られそうだったのですき焼きもつけました」

「今からすき焼き食べる  第1志望校合格をお祝いしてくれるらしい… お腹空きまくってるからやばい 一瞬で私の胃の中に吸い込まれてくよ」

コロナがなければ浅草の店に来て下さるかもと思いますが、今年は家でなさる方が多いのでしょうね。

皆さま、合格誠にお芽出とうございました。

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大火

季節の変わり目は風の季節、東京は3月初旬が風の季節で、明暦の大火(「振袖火事」)はその時期でしたが、3月後半は北海道が風の季節のようです。

そう気づいたのは、「今日は何の日」を見ていて、1934年の「函館大火」が起きたのが3月21日だと分かったからです。

カレーが有名な「五島軒」さんの歴史を調べていた時に、この大火で店舗が燃えたと書かれていました。

この火事は2.000人以上の死者が出た大惨事でしたが、その原因は強風で木造家屋が倒壊し、囲炉裏の火が燃えうつったことでした。さらに火災の最中に風向きが変わったことにより火も移動して、市街地の3分の1を焼いてしまったそうです。

北海道の皆様、時節柄火の用心をお願い致します。

ところで「函館大火」の後日談として、「函館港まつり」の始まりがあります。

函館の夏の定番である「函館港まつり」は、大火で意気消沈した市民を鼓舞するために、翌年にスタートしたのだそうです。

当時の市長が「大火後の復興も遅々として進まない現状で「お祭り騒ぎ」に反対する意見もあるが、それは消極論であって進取の精神に反し、時代に落伍する恐れを多分に持つものである」と勇ましいコメントを出すと、

「帝国電力会社では3000円余りを投じた花電車3台を昼夜にわたって走らせ、自動車協会函館支部では3日間にわたりトラック20台、乗用車10台、乗り合い自動車4台を飾りたてて花自動車隊を編成して市内を行進・・・」(函館市史)と大変な気合の入れ方でした。

今世間はコロナで意気消沈していますが、終わったら、イヤ終わる少し前から「お祭り騒ぎ」を企画してはいかがでしょうか。

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盛り場

緊急事態が明けました。

観光地・浅草をどうするのかという議論が行われないといけない状況だと思います。

が、そもそも浅草は「観光地」なのか、と申しますと、明治・大正・昭和の浅草は、観光地というより「盛り場」という感覚であり、この時代の浅草がおそらく歴史上一番面白かった時代だと私は思います。

私は、すき焼き屋という明治時代に起源のある店に関わっていますので、明治の浅草の面白さを皆様に伝えるのも自分の一つの役割と思わないといけないのですが、もろもろの用事にかまけて出来ていないのは申し訳ないことだと思っています。

一応、このブログでそうしたことを書いてみたり、明治時代の「開化絵」を集めて店に飾り、ネット(こちら)でも公開しておりますが、まだまだ足りないと思っています。

以下は言い訳ですが、明治・大正・昭和の浅草の面白さを伝えるのは、少し難しいです。

その理由は、

・当時の浅草の実態は、現代日本人が浅草について抱いている「江戸情緒の町」というイメージから、かなり離れている。

・当時「浅草らしい」ことばかりが行われていたわけではない。むしろ新奇なことが行われることも多かった。

今日の価値観に照らすと「好ましくない」ことも、盛んに行われていた。

例えば、大正初期の浅草で一番人気があったのはオペラでした。「浅草オペラ」と呼ばれています。

オペラとはもちろん西洋のクラシック音楽のオペラ。まったく、江戸の町らしくも浅草らしくありませんが、観衆は熱狂的でした。劇場にファン(当時「ペラゴロ」と呼ばれました)が入り過ぎて、一人の「ペラゴロ」が二階から一階に落下、「人が降って来た」と話題になりました。

「ペラゴロ」は、今日のアイドルの「追っかけ」に似ています。その非常識ぶりが、当時の日本で始まったばかりのイエロー・ジャーナリズムの恰好のネタになりました。

「浅草オペラ」の根本は西洋のオペラですから江戸の町らしくも浅草らしくもありませんが、一部浅草らしいところもありました。それは歌詞が日本語だったことです。これで格段に親しみ易くなりました。

そして、ここからがさらに浅草らしい点ですが、次第に翻訳以上の改変もされて行ったのです。

「ベアトリねえちゃん」という一曲があります。スッぺ1819年~1895年)作曲のオペレッタ「ボッカチオ」の中の一曲で、「浅草オペラ」で盛んにわれた歌です。

これはベアトリーツェという名前の登場人物の娘について歌った歌ですが、長い名前で親しみにくいですね。「ねえちゃん」を付けた方が親しめますね。

オッフェンバック(1819年~1880年)のオペレッタ『ジェロルスタン大公妃殿下』ではタイトル自体が変わって『ブン大将』に成ってしまいました。「大公」は親しみづらく「大将」なら親しめますからね。

外国語の歌詞を日本語に訳すと、音楽に載せにくくなることが良くありますが、そういう場合は、歌詞を変えてしまいました。

逆に音楽を、日本語の歌詞に合わせて変えてしまうことさえありました。

西洋のオペラを採り入れながら、「原典に忠実に」という西洋の精神は採り入れなかったのです。ここは浅草らしいと言えるかもしれません。

が、この「浅草らしさ」は伝えにくいです。「浅草らしくないのに浅草らしい」ということですから、少ない文字数では伝えにくいです。

つぎに、今日の価値観に照らすと「好ましくない」ことですが、例えばストリップがあります。

戦後1950年代の浅草で一番人気があったのはお笑いですが、そのお笑いはストリップ小屋でストリップ・ショーの合間に上演されていました。

ストリップと聞いて今日のアダルト・ビデオと同じと思ってはいけません。パリの「ムーランルージュ」を目指した本格的なショーで、パリに留学経験のある永井荷風も好んで観ました。座付き作家は無名時代の井上ひさしでした。

踊り子がバストを露出していましたから、「猥褻」に入ってしまうかもしれませんが、現代のAVと比べれば、当時のショーは美しいとすら言えます。

このショーの副産物=踊り子を休ませるために合間に上演されていたお笑いが、後にテレビ業界の中心になって行きます。

ストリップを観に来た客を笑わせるのは大変難しく、それが出来る、才能のある芸人だけが生き残って人気を集めました。代表するのは「コント55号」や「ツービート」です。井上ひさしは「ストリップ界の東京大学」と言って、ここに集まった芸人の才能を称えました。

1960年代にテレビ産業が勃興した時、ここにいた芸人たちが浅草からテレビに移籍して、業界を支えるようになったのです。

もう少し前の浅草の「好ましくないもの」と言えば、見世物小屋がありました。当時は動物の見世物や、障害のある人間さえ見世物にしており、好ましくないものだらけだったとすら言えます。

そして、この「好ましくない」感覚は私個人の個人史の中で一つの問題になりました。

浅草小学校で私は下手に成績が良かったものですから、優等生として扱われました。で、ストリップ、観に行きてーなー!

などと発言しづらくなってしまい、後々まで浅草の猥雑文化を愛せなくなってしまいました。これまで明治・大正・昭和の浅草を伝える役割を果たさなかったのは、当時、正直申して好きでなかったからです。

浅草の猥雑文化は、川端康成、永井荷風、高見順といったれっきとした文化人に愛されていて、それがまた浅草の面白さにつながっていましたが、そこに気づけたのは、私の個人史の中では後々のことでした。荷風についても以前は少しおかしい人だと思っていました。

猥雑文化を愛せなかったのには世代的な原因もあります。

私の父(1935年生まれ)のような戦中・戦後すぐ世代の人達の中には、戦争で日本が大敗したのを見て、これからは西洋に学ぼうと考えた人達がいました。

父は西洋のクラシック音楽にとても詳しくなり、私も小さいころから良く聞いていましたから、「浅草オペラ」が歌詞や曲を改変していたことについては言語道断なことと思っていました。

このように猥雑浅草を、正直申して好きでない時期がありました。

そうこうする内、戦前・戦後の知る浅草の先輩方が減ってきました。

江戸時代の浅草を学ぼうという人は少なくないようですが、明治・大正・昭和となると寂しいようです。

これから浅草にはどういう時代が来るのでしょうか。

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二十四節季

さて「春分の日」で、「緊急事態」の最終日でもあります。

思い起こせば「緊急」になったのが年始すぐ=「小寒」の頃でした。

その前に、まったく効きませんでしたが、「勝負の3週間」だと言い出したのは、昨年の11月下旬で「小雪」の頃でした。

この間の二十四節季を全部書くと、

小雪(しょうせつ)(11月22日頃)

大雪(たいせつ)(12月7日頃)

冬至(とうじ)(12月21日頃)

小寒(しょうかん)(1月5日頃)

大寒(だいかん)(1月21日頃)

立春(りっしゅん)(2月4日頃)

雨水(うすい)(2月19日頃)

啓蟄(けいちつ)(3月5日頃)

春分(しゅんぶん)(3月21日頃)

となりまして、なんと、24分の9ですね。

日はだいぶ長くなりました。

明日よりは21時まで営業致します。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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日の入り時間

明日は「春分の日」。昼の長さと夜の長さがほぼ等しくなる日で、夕方になるとだいぶ日が長くなってきたなあと感じます。

明日の、日の入り時間は17時53分だそうです。

「ちんや」では閉店時間の2時間30分前に

「本日はN時に閉店します」

と店頭に告知を出しますが、

20時までの時短要請に応じる場合17時30分にその告知を出さないといけません。

ところが日の入り時間は17時53分ですから、告知は、日の入り前に出すことになります。

まだ空は明るいのに「本日の閉店時間は・・・」って、本当に変です。

22日からは「21時まで」に変わると期待します。

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ホッキョクグマホテル

動物をどう扱うか、

について、世界には違う感覚を持つ人々がいて、現代の一つの論争のテーマだと思います。

動物を大切に扱う人は、先進国民、上級国民と言われ

そうしないと後進国民、下級国民と言われます。

が、先進側が後進側を差別して良いということでもありません。

例えば、最近話題なのは中国ハルビン市の「ホッキョクグマホテル」。

ガラス張りのクマの飼育スペースを取り囲むようにホテルの客室やレストランが配置されていて、どの客室からも24時間ホッキョクグマを見ることができるとか。

当然ながら動物愛護団体からの批判を浴びています。

「ゲストはホテルに飽きたら帰宅すればいい。でもホッキョクグマに行き場はない。家族から引き離され、故郷に戻れず、人間のエンターテインメントのために生きなければならないのならあまりにも悲惨だ。」

「常にライトに照らされ、たくさんの窓に囲まれた場所で過ごすなんてストレスに違いない。まずは人間を展示スペースに入れて試してみるべきよ。」

このホテルは勿論ひどいです。が、だからと言って、

これだから中国人は・・・

と民族の問題にもって行くのは、私は違うと思います。何故なら明治時代の浅草でも見世物小屋が大繁盛だったからです。動物だけでは足りず、障害のある人間を見世物にしたこともありました。

当時は浅草の見世物小屋だけでなく、もっと公式な博覧会で人を見世物にしたこともありました。

東京府が1914年に開催した「東京大正博覧会」には「南洋館」という施設が建てられ、「ベンガリ種族」、「マレー種族」、「ジァヴァ人」といった人達が、日常生活の様子を見せたり、舞踊を演じたりしていました。当時これを「人種の展示」と言っていたそうです。場所は上野公園です。

「人種の展示」って私は「リアリティ番組」「リアリティショー」に近いと思います。だからそれを面白がって放送したり視たりしている現代日本人は、中国人や大正の日本人を馬鹿にできないよなあ、というのが私の感覚ですね。

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チーズ天カレー南蛮

なんの気なしに視たテレビの散歩番組で面白いメニューを発見しました。それは、

「チーズ天カレー南蛮」

桜新町の「田中庵」さんという蕎麦屋さんのメニューですが、近隣の美術館の人が、番組内でその店にそういうメニューがあると推薦していたので、地元では知られたメニューのようです。

チーズはカマンベール。揚げてあります。

レポーターさんは、チーズを食べると全体的に甘く感じると評していました。

カレーにチーズは合います。

私は以前から、カレーとすき焼きは合う!と思っておりまして、またヨーグルトとすき焼きは会う!とも思っておりまして、2016年の秋からすき焼きの溶き卵にカレーオイルとヨーグルトを入れています。

また自分で「合う!」と主張するだけでなく、2018年には「味博士」こと鈴木隆一博士に味覚センサーで分析もしてもらいました。

で、その18年の分析で分かったことは、

カレーを入れたすき焼きよりも、ヨーグルトを入れたすき焼きよりも、カレーとヨーグルトの両方を入れたすき焼きが、味覚分析上最強だったのです。(結果はこちら

「田中庵」さんのチーズ天カレー南蛮は同じ理論ですから美味しいはずですね。

チーズを揚げてあるのは蕎麦屋的感覚かと思います。

食べに行かねば。

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